英語が苦手な生徒にもわかりやすい授業

最近教えることになった中2の生徒が、先生自動詞って何ですか、他動詞って何ですか、中学校の先生に聞いたら、目的語を取るのが他動詞、目的語を取らないのが自動詞とおっしゃったのですが、よく理解できなかったので目的語を取るとか取らないとかどういうことですかと聞いたら、動詞の後ろにあるのが目的語だよと説明されました、とのことでした。これでは、生徒は納得できないと思います。教師のレベルで説明されていることが分かります。生徒はそもそも自動詞と他動詞の区別が分からないと訴えているのに、目的語の有無で説明されているのは、説明不足だと思います。

わかりやすく伝えることの重要性

私はこの質問に答えるために次のように説明しました。次の英文を見てみよう。I know …, I have …, My sister likes …の英文を見た時に何か足りないと思わない?と聞いてみました、するとその生徒は、何を知っているのか、何を持っているのか、何を好きなのか分からないということに気づきました。そうだよ、その何かに当たるのが目的語です。そして、その前にある動詞を他動詞といいます。その何かが動詞の後ろにないのが自動詞というのです。もうすでに習っているI go to school.やI live in Tokyo. に使われているgo やlive は自動詞です。go やlive のすぐ後ろに「~を」にあたる名詞がないでしょう。と説明したら、すかさず名詞って何ですかと質問してきました。私もこりゃまずいと思いました。私も教師目線で説明していることに気づきました。

先生は「これぐらいは知っている」前提で話すことが多い

品詞の分類くらいは分かっていると思っていたからです。そこで、今度は名詞の説明をすることになりました。名詞は物の名前を表す単語です。例えば、リンゴとか机とかこういった単語を名詞というのです。名詞には君たちの周りで見たり触れたりできる名詞のほかに漠然したた名詞、例えば真理とか友情などの抽象名詞、コーヒーやお茶などの物質名詞、人名や土地名などその人やその土地だけが持っている固有名詞、それから家庭やクラスなども名詞に仲間に入るのです。これらの名詞が目的語になるのです、と説明。

しかし、中学2年生の生徒がここまで質問してくるとは思いませんでしたが、教師がやってはいけないことは教師目線で説明することです。生徒はそれぞれ理解の程度や仕方が違います。生徒の目線で一通り説明しても分からないときは、その生徒にわかるまで説明してあげるのが教師の務めだと思います。

英語教育に関する持論

これから英語教育に関する持論を展開していきたいと思います。今日の話題は一口には簡単に論じられない難しいテーマです。私は教科指導で教師の最も大事な役割というのは、生徒を正しい軌道に乗せてあげることだと考えています。いったん生徒を軌道に乗せてしまえばあとは自発的に学習を進めていきます。しかし、そこまでたどり着くのが至難の業である。生徒のためにと思って時間をかけて詳しく説明しますと、説明が長すぎるから「もう少し説明の時間を減らして欲しい」と生徒が要求します。教師は英語に関しては生徒の数倍の知識量を持っていますから、どうしても詳しく説明したがるものです。教師は「私の説明をしっかり聞いてさえいれば英語なんか難しくないよ」とよく言います。でも、これは教師のおごりです。生徒の立場になって考えていないのです。いわば教師 の論理で生徒をねじ伏せようとしているに過ぎません。教師には生徒の「先生は英語なんて少しも難しくないと言うけど、英語が苦手な私のことなんてちっともわかっちゃいないのだ、といった悲鳴が聞き取れていないのです。 

同じ授業でも生徒の捉え方や理解度は違う

同じ授業にしても教師と生徒ではその捉え方がまったく違うということを教師は意識すべきです。私たちは自分が感じているように相手も同じように感じているだろうと思いがちです。ましてや、教師と生徒との間では上に立つものとそれに従うものという主従関係がはっきりしているのでいますので、いっそうこの傾向が強い。教師経験の長い教師ほど無意識のうちにこういった錯覚に陥り易いようです。生徒から「先生の授業はわからない」と言われても自分のどこが悪いのか気づかない。これでは教師の責任を果たしていることにはならないと思います。  

すばらしい教師との出会いで成績は確実に伸びます。

私は高校1年生の時、すばらしい英語の教師に出会いました。その先生は生徒思いの先生で、大変ほめ上手の先生でもありました。とにかくこの先生は、いいところを見つけてはよく褒められました。もちろん授業もとても分かりやすかったです。私はこの先生の期待に添うように一生懸命努力しました。こんないい先生の授業を怠けていては罰が当たるとまで思うようになっていました。ですから、この先生との出会いが英語の道へ進むきっかけとなったことは言うまでもありません。

以前、あるスポーツ系新聞社が主催するマラソン教室に参加したとき、恩師と同じようにほめ上手な陸上の監督に出会ったことがあります。この方というは高橋選手や有森選手を育てられた小出監督です。高橋選手などはとくに小池監督に褒めちぎられて育った選手であることはよく知られています。また、監督はとても気さくな方で、いろいろと選手の指導方法なども直接聞く機会がありました。高校時代の恩師と共通していたのは、どちらも優れたところを見つけて徹底してほめられるところでした。

特に外国語を教える教師の場合、文字通りことばを教えるだけが教師の仕事ではなく生徒の内部で湧き起こる学習意欲を導き出す人ではないでしょうか。知識を伝達するだけの授業では教師の役割を果たしているとは言えません。知識を伝授するだけの仕事なら、コンピューターに任せた方が効率はいいことが分かっています。しかし、コンピューターでは生徒の心をつかみ、コミュニケーションをさらに円滑にし、学習意欲を引き出していくことは難しいでしょう。やはり生の教師の手助けが必要です。コミュニケーションをとるのが上手な先生は生徒たちにも慕われます。

 

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