これからの英語教師に望まれる資質

英語教師は、言わずもがなことばの教師である。ことばは私たち人間が持つ宝である。人間はことばによって、思想感情を表し、思考をめぐらす。言葉は、人間らしい営みと、切り離すことはできない。ことばの教師は、人間とことば、ことばと人間を取り巻く社会や文化とのかかわりに強い関心を抱く。これからの英語教師に必要なのは、ことばに対する言語学的アプローチだけでなく、社会言語学的ないしは文化人類学的にアプローチです。

ことばは言うまでもないが、文化を映し出す鏡である。日本語の構造やその表現方法には、日本文化が色濃く反映している。同様に、英語にはそれを母語とする英米人の文化が影を落としている。一方、英語は今や国際語として英米人だけでなく広く世界の人々の間で使われている。国際語としての英語は、英米文化とのつながりは弱くなり、むしろ使い手との文化の関係が深まっている。日本人が使う英語は日本的発想が色濃く出ているように文化的背景が投影されている。

このように、英語には英米文化に集約される顔と世界の文化に拡散する異なった二つの顔がある。しかし、今後は後者の顔が一段と増してくるであろう。そして、英米文化と密接な関係にある英語を、様々な英語の一つとして、つまりBritish EnglishAmerican Englishかの時代ではなくなりつつある。それはとりもなおさず、文化相対論的立場に立ち、英語をとらえることである。これからの英語教師は、このように言語観の変革を迫られることになる。

文化相対論の立場で英語と向かうと、単に英米人的発想を模倣し、英米人のように英語を使う目標は理不尽に思える。これからの英語教師は、理解の面では、英米文化だけではなく、世界の様々な文化を視野に入れそれを理解しなければならない。また、様々な英語に耳ならしておく必要がある。私が仕事柄様々な英語に接してきたが、インド人の英語や中東やアフリカ系の人が話す英語など最初は聞き取るのにも苦労した経験がある。しかし、彼らの英語には論理的主張がある。しかし、日本人の英語には文法や発音にあまりにもこだわるせいか話の論点がはっきりしない。それだけに、日本人は表現の面で、自分の意見や立場を明確に表現できる能力を会得する必要がある。

日本の社会では、言葉による自己表現力を高めていくことはよほど意識的に努力しない限り非常に難しい。書きことばによる自己表現はまだしも、話しことばによる自己表現は至難の業である。日本の社会には古くから、「沈黙は金」、「口は禍の元」と考える社会風土がある。帰属しているグループの意向も無視してはっきりものを言えば、その場の空気を読めない人と思われがちである。

このような、日本人の意思伝達にまつわる社会的風土や価値観には、日本人の価値観、民族的、地理的条件、個人の考え方や社会の構造などが絡み合っている。日本人のコミュニケーションの方法は日本国内では機能しているのはそれなりに理由があるが、国際社会ではそうはいかない。ことばによるコミュニケーションの重要さを認識する必要がある。日本人らしさを失わずに、世界の人々と意思疎通ができる英語を確立していく第一歩は、日本的コミュニケーションのパターンが世界の人たちにどう受け取られているのか、それはなぜかをはっきり認識しておくことである。

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